2018.10.28
レポート
タイムマシンなんていらないと思うけれど。―悩む、vol.2
選ぶ時間こそが幸せだと考えていたが、本当にそうか。
実は、最善で安全な選択をしようとしているだけなのではないか。
1番無難な選択が幸せだと勘違いしていないか。
考える時に値段や栄養も考慮している時点で、単純な自分の欲求に邪魔が入っている。
確かに安く買えたら幸せ、栄養バランスがよければ幸せ、かもしれないが、例えば一生過ごせるほどの賞金が当たったら、例えば超人的な代謝でどれだけ食べても太らない体質だったら、例えば今夜が最後の晩餐だったら。
私は同じ選択で、同じだけの幸せを感じられただろうか。(やっぱり栄養あるものは幸せだけれど。)
予定がない日に遊びに誘われたとき、家にいるよりも有意義になるはずなのに、断る理由はないのに、行くかどうか悩んでしまうことが多い。
―どうしよう。
私は、悩む必要のないものまで意味もなく悩む癖がついてしまっているのではないか。
そういえば、食べるものや観るテレビなど、毎日直面するような小さな選択にはいつまでも悩む反面、自分の生活が変わるような、大きな選択ではいつでも何かと理由をつけて挑戦しない方を選んではいなかったか。
むしろ、大きな選択のほうが、なんか嫌、なんか怖い、なんかめんどくさい、と感情で決断、というより挑戦することを避けてきていなかったか。
何か理由を考えて悩む癖がついて、いつも安全な道を選んで損をしているような気になってきた。
メディアの世界を知りたい、東京や中国へ行きたい、やりたいことを実現させるチャンスが巡ってきた時にも、同じように悩むのだろうか。
私は正しい判断基準で悩めているのだろうか。
本当に悩むとは。
やってよかったこと、結局やらなかったこと、まだ悩んでいること。
すぐ決めていれば、反対の道を選んでいれば。
高校の時に読んだ英文の小説で、20種類からアイスのフレーバーを選ぶよりも、たった3種類、シンプルなものから選ぶ方がより幸せを感じられる、とおじいちゃんが言っていたことが印象に残っている。
無駄なものを取り除いて単純に選択する感覚を私はまだ知らないのかもしれない。
だれか、私と直感即決キャンペーンやりませんか。
吉田彩花
蜂蜜と玉子を愛する農学部生。
写真が撮りたい、中国に行きたい、好きなことを伝えたい。